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住友生命保険 シニア・ライフ・コンサルタント
 小田 ヨシ子 さん  〜PART1〜
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今回はスミセイレディの小田さんです。和さんには毎日きていま
す。以前にも何回かお店でお見かけしていましたから、いつか取
材をと思っていたところに、都合がつきました。しかし、その内
容は数奇な運命をたどっていらっしゃるということもあり、1回
では終わらないのでありまして、そこで、3回に分けてお送りし
ます。

第1部「熊本から倉敷へそして・・・」

 小田さんの生まれは熊本の玉名というところです。田舎の町で
すが、学校は100年以上の歴史があり、俳優の「笠置衆」さん
を先輩にもつ伝統校・玉名高校なのです。学生時代はうぶなヨシ
子さんです。男のうわさはこれっぽっちもなく、まじめな勉強家
だったそうです。けどね、好きな人はいたんですよ。「吉川くん」
です。岡大工学部を卒業して、東芝に勤めていたらしいです。い
までも覚えているあたり、その思いの深さがわかります。
 高校を卒業して20歳で「銭高組」という土木建築の会社の子
会社に入りました。新幹線の工事や高速道路や種子島の宇宙開発
基地の建設なども手がける大手の会社です。熊本の支店に勤めて
いました。そこで、その後結婚するだんなさんと出会うのでした。
 だんなさんの印象は、背が低くて、首が短くて色黒でと自分の
理想とはかけ離れた人でした。そしてその人に、自分のお姉さん
を紹介しようと声をかけたところ
 「わしはヨシ子さん、君のほうがいいんだ」
と、いきなり言われてしまい、ヨシ子さんはあたふた。なにせ、
男の人と話すのに、電話の取次ぎをするのでも恥ずかしかったの
に、言い寄られるなんて考えてもないですから。
すぐに返事はできなくて、ヨシ子さんは1年考えました。そんな
折、そろそろ自活をしなさいと親にいわれたりして、実家を出な
くてはいけなくなりまして、そこで、だんなさんがそんな風に言
っててくれているものですから、ふたりの同棲生活をはじめるこ
とになりました。その後23歳で結婚することとなるのです。
 だんなさんは会社の中でも役員を勤めるくらいの人で、ヨシ子
さんはいわゆる玉の輿ということでしょうか。こちらから猛烈に
アタックしてるのでもなく、きっとだんなさんもそんなふうに言
い寄られることもあったでしょうに、その中でヨシ子さんを選ん
だのも、なにか縁を感じずにはいられません。そういう、人の上
に立つような人に見入られてしまうヨシ子さんのその後の運命を
暗示しているようです。
 結婚してから、全国規模の会社ということもあり、熊本から大
阪、静岡、そしてまた熊本と住まいを転々としており、その中で
子供も2人生まれました。そしてそんな折に大変なことがありま
した。
 熊本の田原坂で事故がありました。そのときヨシ子さんの母親
以下5人が乗っていてその中に自分の3歳の長女も乗っていまし
た。助かったのはその自分の子供だけでした。それはそれで不幸
中の幸いと言えるのでしょうが。けれども、同じく車には自分の
お姉さんの子供も乗っていました。子供を亡くしたお姉さんはこ
とあることにちくちくとヨシ子さんに愚痴ってしまって、「なん
でうちの子が・・・」と。
 それで、ヨシ子さんは熊本にいられなくなりました。だんなさ
んの兄弟を頼って、倉敷にやってきたのでした。その後また子供
も生まれ、全部で5人の子宝に恵まれました。マイホームも建て
て、ようやく落ち着いて暮らせる環境ができたと思っていたので
すが・・・。
 人がどんな人生を歩んでいくかなんて、その時々でいろいろと
見えてきたり、見えたつもりがまた暗闇になったり、結局、これ
からどうなるのかなんてわからないのかもしれない。このだんな
さんと縁したときから、ヨシ子さんの運命はわかってはいないけ
れども、ただこの事故の時にこの3歳の女の子が助かったのは、
このあとのヨシ子さんの人生に、欠かせない存在になっていくと
いうことが、この「生かされた」ことで、すこしはわかるような
気がします。


Weekly Kurashiki 週刊倉敷メール 掲載
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